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名古屋地方裁判所 昭和56年(ワ)1142号 判決 1985年3月15日

原告

鈴木義久

ほか一名

被告

前川賢三郎

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

(申立)

第一原告ら

一  被告は原告鈴木義久に対し金三、二五二万円およびこれに対する昭和五三年五月五日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告鈴木敏久に対し金三、二五二万円およびこれに対する昭和五三年五月五日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  仮執行宣言。

第二被告

主文と同旨。

(主張)

第一請求原因

一  交通事故の発生

昭和五三年五月五日午後九時四〇分ごろ、豊川市桜木町四丁目二七番地先交差点において、原告鈴木敏久(以下「原告敏久」という。)が運転、原告鈴木義久(以下「原告義久」という。)が同乗する軽四輪乗用車(三河五〇い四〇四号以下「原告車」という。)が交通信号の黄色に従い右交差点内を直進々行中、被告運転の普通乗用自動車(三河五五て六七〇〇号以下「被告車」という。)が、交通信号の赤色を無視して右交差点に原告車の右方から進入したため原告車の右側に衝突し、原告両名が負傷した。

二  被告の責任

被告は、被告車の所有者で本件事故当時、被告車を自己のために運行の用に供していたものであるから自動車損害賠償保障法第三条本文により原告らに対し損害賠償をすべき義務がある。

三  原告義久の後遺症

原告義久は、本件事故により頸部の屈曲回旋障害、両肩関節の機能障害および両眼について視力低下、眼球調節運動機能障害、視野狭窄等の後遺症が残存し、自動車保険料率算定会において後遺障害別等級表(自賠法施行令第二条)第七級に認定された。

四  原告義久の損害

原告義久の後遺症による損害は次のとおりである。

(一) 逸失利益 金三、二七九万円

原告義久は、右後遺症により労働能力を五六パーセント喪失した(現実には就労できないでいる。)が、症状固定時である昭和五四年五月一七日当時、同人は満二八歳の男子でなお、三九年間就労が可能である。満二八歳の昭和五四年における平均月額給与額は金二二万九、〇〇〇円であり、それに新ホフマン式計算法により昭和五四年五月一七日現在の逸失利益額を計算すると金三、二七九万円(千円以下切捨)になる。

229,000×12×0.56×21,309=32,791,993

(二) 慰藉料 金四五〇万円

原告義久は、前述の後遺症に苦しみ現実にはいまだに就労できないでおり、これからの長い人生に大きな不安を抱いている。原告義久の右の苦痛苦悩を慰藉するには金四五〇万円が相当である。

(三) 既受領額

原告義久は、後遺症の損害賠償として自動車損害賠償責任保険より金六二七万円を受領済であるので、右金額を損害額から差し引く。

(四) 弁護士費用 金一五〇万円

原告義久は、被告が任意に損害賠償に応じないのでやむなく本訴を提起したが本訴進行にあたつて原告代理人に事務を委任しその報酬を支払う約定をしたが、右報酬額は金一五〇万円を下らないので、右金額相当額の損害を受けるものである。よつて、原告義久が受けた損害額の未払分は金三、二五二万円である。

五  原告敏久の後遺症

原告敏久は、本件事故により頸部の屈曲回施障害、両肩関節の機能障害および両眼について視力低下、眼球調節機能障害、視野狭窄等の後遺症が残存し、自動車保険料率算定会において後遺障害別等級表(自賠法施行令第二条)第七級に認定された。

六  原告敏久の損害

原告敏久の後遺症による損害は次のとおりである。

(一) 逸失利益 金三、二七九万円

原告敏久は、右後遺症により労働能力を五六パーセント喪失した(現実には就労できないでいる。)が、症状固定時である昭和五四年五月一七日当時、同人は満二八歳の男でなお三九年間就労が可能である。満二八歳の昭和五四年における平均月額給与額は金二二万九、〇〇〇円であり、それに新ホフマン式計算法により昭和五四年五月一七日現在の逸失利益額を計算すると金三、二七九万円(千円以下切捨)になる。

299,000×12×0.56×21,309=32,791,993

(二) 慰藉料 金四五〇万円

原告敏久は、前述の後遺症に苦しみ、現実にはいまだに就労できないでおり、これからの長い人生に大きな不安を抱いている。原告敏久の右の苦痛苦悩を慰藉するには金四五〇円が相当である。

(三) 既受領額

原告敏久は、後遺症の損害賠償として自動車損害賠償責任保険より金六二七万円を受領済であるので、右金額を損害額から差し引く。

(四) 弁護士費用 金一五〇万円

原告敏久は、被告が任意に損害賠償に応じないのでやむなく本訴を提起したが、本訴進行にあたつて原告代理人に専務を委任しその報酬を払う約定をしたが、右報酬額は金一五〇万円を下らないので、右金額相当額の損害を受けるものである。

よつて、原告敏久が受けた損害額の未払分は金三、二五二万円である。

七  よつて、原告らは被告に対し、それぞれ損害金三、二五二万円とこれに対する事故の日である昭和五三年五月五日以降支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二請求原因に対する答弁及び反論

一  請求原因一のうち、原告敏久が運転し原告敏久が同乗とある部分及び原告車が青色信号に従い被告車が赤色信号を無視してそれぞれ進入したとの点は否認し、その余は認める。右否認部分はまつたく逆である。

二  被告は被告車の所有者で本件事故当時これを自己のため運行の用に供していた事実を認め、その余は争う。

三  同三は争う。

原告義久の主張する症状はすべて詐病である。

四  同四のうち、原告義久が昭和五四年五月一七日当時満二八歳の男子であるとの部分は認め、その余は争う。

五  同五は争う。

原告敏久の主張する症状はすべて詐病である。

六  同六のうち、原告敏久が昭和五四年五月一七日当時満二八歳の男子であるとの部分は認め、その余は争う。

七  同七は争う。

(証拠関係)

本件記録中、証拠関係目録記載と同一であるからこれを引用する。

理由

一  請求原因一の事実中、原告ら主張の日時場所において原告車と被告車とが衝突し原告らが負傷したこと及び右事故の際被告は被告車を自己の運用の用に供していたことは当事者間に争いがないから、被告は原告らに対し右受傷による損害を賠償する義務があり、原告らは、右受傷による症状はいずれも昭和五四年五月中に固定し、その程度はいずれも自賠法施行令二条の後遺障害別等級表第七級に該当するとしてこれによる逸失利益、慰藉料等を請求するものである。

二  よつて右の点について以下検討するに、

1  弁論の全趣旨により成立を認める甲第九号証の一ないし九、第一〇号証の一ないし九によると、原告らはいずれも本件事故により頭部打撲傷、頸部挫傷、腰部捻挫等の障害を受け、原告敏久は昭和五三年五月八日より同年八月二二日まで、原告義久は同年五月七日より同年九月一二日まで後藤病院で入院治療を受け、その後原告敏久は昭和五四年五月一六日まで、原告義久は同年五月一七日まで同病院及び飯塚外科医院でそれぞれ通院治療を受けた事実が認められる。

2  弁論の前趣旨により成立を認める甲第三ないし第八号証によると、右飯塚外科医院において、原告敏久は昭和五四年五月一六日、原告義久は同年五月一七日それぞれ症状が固定し、原告らが請求原因三及び五において主張するような後遺障害を残した旨の診断を受け、自賠責保険より後遺障害別等級第七級相当の後遺障害保険金の支払を受けた事実が認められる。

3  弁論の前趣旨により成立を認める甲第一四、第一五号証の各一ないし三によれば、原告らは昭和五四年一月二五日以降窪田善一医師の診察を受け、原告敏久は昭和五七年七月三一日までの間に裸眼視力は左右各〇・〇八まで落ち且つかなりの視野狭窄がある旨の、原告義久は右期間中に裸眼視力は左右各〇・一まで落ちかなりの視野狭窄がある旨の各診断を受け、鑑定人上崎博の鑑定の結果中には、原告敏久は中等度の視力障害及び比較的高度の視野障害が、原告義久は高度の視力障害及び高度の視野障害があり右はいずれも前記等級別第九級に該当するとの部分がある。

4  鑑定人牧山友三郎の鑑定の結果中には、被鑑定人である原告らが鑑定人に対し、原告らは後遺障害により通院以外は外出したことがなく、殆んど家の中で生活し歩くのは家の廻りぐらいである旨供述したとの部分がある。

5  原告敏久は第八回口頭弁論期日(昭和五七年四月二一日)の本人尋問において、身体各所の苦痛不便を訴え、本件事故前は視力は正常であったが現在は前記窪田医院の指示により眼鏡をかけていること、以上により就労は不能で現在まで就労したことがない旨を供述し、また原告義久は第一八回口頭弁論期日(昭和五九年五月二五日)の本人尋問において、身体各所の苦痛不便があること、視力は前記窪田医師の診療を受けた時(最低裸眼で〇・〇八)とあまり変らず疼痛及び異状感がある等と訴え、以上により就労不能で現在まで就労したことがない旨を供述した。

以上によれば、原告らは右各症状固定時より現在まで相当高度な後遺障害が存するかのようである。

しかし、前記牧山鑑定によれば、原告両名は鑑定にあたり身体各所の苦痛や運動障害を訴えたが、客観的所見としてはこれといつて見合うものはなく、原告らの意思で行う各種テスト特に頸部及び肩関節運動領域障害テストでは誇張をなし、上肢筋力テストでは力を抜いた疑がありその他の申述、所作は詐病の疑があるとの指摘がある。しかるところ、証人入谷正志の証言及び同証言並びに弁論の前趣旨により成立を認める乙第二八号証の二、昭和五九年七月三一日頃原告敏久撮影した写真と認める乙第二九号証の四ないし七、同年八月六日頃右同の乙第三〇号証の二ないし一三、昭和五八年一〇月二四日頃右同の乙第三一号証の二ないし一六、同年一〇月三一日頃右同の乙第三一号証の一七ないし一九によると、原告敏久は右4及び5記載の供述に反し、昭和五六年一一月頃より訴外有限会社松岡組において現場の労務に服していた事実が認められ、同原告の前記供述は到底措信すべきものではないと考えられ、また、原告義久の供述(第一九回口頭弁論期日)及び弁論の全趣旨により昭和五八年八月一四日頃原告義久を撮影した写真と認める乙第一五号証の一ないし一六、同年八月二八日頃右同の乙第一六号証、昭和五九年五月一八日頃右同の乙第二〇号証の一ないし二〇並びに同原告の右供述部分によると、同原告の前記4及び5記載の供述に反し、同原告は数メートルの崖をはしごを使つて昇降したり、バスによる長時間のリクエーシヨン旅行に参加したり、手持ちの機械を操作して茶摘み作業をし数キログラムの茶を運搬する作業をしたりしている事実が認められ、同原告の前記供述も到底措信できるものではない。

また、原告敏久の第一〇回口頭弁論期日(昭和五八年一月二八日)の本人尋問によれば、同原告は前記1で認定した通院療養中の昭和五三年八月一四日から同年一〇月七日までの間に大型自動車免許の講習を受け同免許を取得した事実が認められ、成立に争いのない乙第七号証によれば右事実は当時同原告は両眼で〇・八以上一眼でそれぞれ〇・五以上の視力を有していたことが明らかであり、同原告の右供述によれば同原告は本件事故以来今日まで度のある眼鏡を購入し使用したことがないものと認められる。また前記原告義久の第一八回口頭弁論期日の本人尋問において同原告は本件事故前は一・二から一・五の視力を有していたところ、現在は視力及び視野に障害があり、その程度は前記3記載の窪田医師の診断を受けた際の状況とあまり変りがない旨を訴えているがこれまた眼鏡を購入し使用したことがなく、しかも日常の生活において目に不自由はないものと認められる。また、上崎鑑定人の鑑定書によれば前記3記載の鑑定の結果については、原告両名の心因的要素が関与し、心理的検索も必要との意見が付されている。以上のほか、牧山鑑定の結果を総合すると、前記3記載の原告両名の視力等に関する診断、鑑定の結果も原告らの虚偽の申述に基づくものとして到底措信できない。まして、前記2記載の原告ら両名の後遺障害の診断の結果など採用に値しない。

以上検討した証拠のほか原告ら主張のような後遺障害の存在を認定するに足りる証拠はない。もつとも、前記1、2の記載の事実によれば、原告らが前記各症状固定時において何らかの後遺障害を残したことが窺われ、前記牧山鑑定によれば原告敏久については頸椎の運動障害については第一一級の五相当の、腰椎ヘルニアの疑いについて第一二級の一二相当の後遺障害等を認めうること、原告義久については頸部痛については第一二級の一二相当の、側頭部前額部痛は外傷性神経症として第一四級の九に相当すると考えられたこと、右判断は原告敏久についてはレ線上の所見がありまた鑑定人において原告両名の鑑定人に対する虚偽ないし誇張の所作の疑があつたことを前提としたものと認められるが、同判断の資料として原告らのその他の虚偽の申述、所作の一部を採用したものと考えられるから、結局右鑑定の結果もそのまま採用できない。更に、原告らにおいて本件後遺障害につき自賠責保険より各自金六二七万円を受領していることは原告らの自認するところ、原告らにおいて右金額を超える損害があつたと認定することはできない。

三  よつて、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからすべて失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 浅野達男)

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